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【土肥金山】年間15万人が訪れる金運アップのスポット?世界一の250kg金塊と砂金採り。

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【土肥金山】年間15万人が訪れる金運アップのスポット?世界一の250kg金塊と砂金採り。

清水港から駿河湾フェリーに乗り70分あまり行くと土肥港に到着する。土肥港は、伊豆の西の玄関口。土肥港から歩いて10分ほどのところに今回紹介する土肥金山がある。

江戸時代に金山の町として栄えた土肥は、現在では、砂金探しを体験できたり、ギネス認定の金塊があったりする年間入場者数が15万人にもなる観光スポットとなっている。

【土肥金山】年間15万人が訪れる金運アップのスポット?世界一の250kg金塊と砂金採り。

■徳川家康の財政を賄った重要な金山

伊豆市指定史跡の土肥金山は、佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山だった。室町時代(1370年代)に、土肥で盛んに金銀を掘りだされたという言い伝えもあるが、金山が繁栄したのは、江戸時代初期と明治から昭和にかけての2つの時代である。

江戸時代初期に大久保長安が幕府金山奉行になり伊豆の金山奉行も兼ね、新技術を導入して産金量を増大させ、【土肥千軒】と言われるほど土肥の町も隆盛を極めた。金の算出量に加え、他の鉱山と違い海に近いというのが特徴だった。採掘された金は、土肥港から家康が居た駿府城や江戸城に運ばれ、黄金の小判として流通した。長安の死後(1613年)、土肥金山は急速に衰退して寛永2年(1625年)に休山となった。

その後、明治39年(1906年)に神戸の実業家の長谷川銈五郎が、外国人技師を招聘して、地底深く掘削することに成功。こうして、土肥金山は、第二の黄金期を迎えた。長谷川が発起人となり、大正6年(1917年)に土肥金山株式会社(現:土肥マリン観光株式会社)を設立して、昭和40年(1965年)の閉山まで採掘を続けていた。閉山までに掘削坑道の総延長は約100kmにも及び深さも海面下180mに及んだ。

現在、坑道は約350mの観光坑道として整備され、江戸時代の繁栄した街並みの紹介や、等身大の電動人形が当時の掘削方法などを解説している。